小さな国語塾のつぶやき
たかが文集、されど文集
早いもので、もうすぐ学校は二学期を終えようとしている。この時期になると最終学年は卒業文集、それ以外の学年ではクラス文集に取り掛かり始めることも。不特定多数の文集をパラパラと見せてもらったことがあるのだが「なぜ、誰かがきちんと指導しなかったのか?内容はともかくとして、漢字が間違えている・・・二十年後と書くべきところを二十年係となっている。将来これを見て本人はどう思うのか?『受ける~』と過去の自分を懐かしんで笑うか?それとも恥ずかしがるか」といろんなことが頭をよぎる。誤字脱字はもちろんのこと、文章の構造がめちゃくちゃ!文末が不揃いといったものが多い。そういう間違いも含めてよい思い出となるのだろうが・・・。行事作文のように「提出して終わり」の作品ならいざ知らず、記念に残るものはきちんと推敲した方がいいのでは?と思ってしまう。また「推敲」を重ねることによって文章力がアップするのであり、正直言って下手くそな間違った文章を何度も何度もひたすら書いても無駄が多くなるだけ。学校側としては「本人の自主性を尊重」というスタンスだが、国語塾に来てくれている生徒に対しては「推敲」をはじめとして「文章の構造」等を何度も何度も繰り返し伝えていこうと決意を新たにしている。
2014/12/09 12:16
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